歴史

昭和20年4月15日の大空襲で、その中心のほとんどを灰塵に帰した。
昭和22年川崎市はいち早く復興計画をたて、戦災復興の促進と合わせて土地利用の効果向上させることを目的とした復興土地区画整理着手。その折今まで無かった新道路(現仲店通り)が第一工区として計画された。
昭和23年アサヒヤ(旭屋酒場)初代理事長稲葉森三氏が開業。他は観行院・大徳寺のみ。道路未開通。お寺が通りの中央に挟まれているので、東京浅草にちなんで「仲見世通り」と稲葉氏が命名。
昭和24年組合員十余名にて「仲見世通り新栄会」結成。初代理事長に稲葉森三氏選出される。
昭和25年道路未開通の為、「道路開通促進運動」市役所へ団体交渉毎日行った結果道路開通する。また道が抜けると同時に、道路舗装交渉を開始し、新しい道路では一番最初に舗装になった。
昭和26年ネオン看板灯を各店取付。
昭和28年協同組合へ改組。二代目理事長に曽根勝一氏を選出。事務所は観行院に間借り。川崎駅前京浜急行中央踏切開通運動展開。
昭和29年小宮山勝正氏三代目理事長となり、ネオンアーチ9基が建設される。
昭和33年事務所を加納屋の裏に移転。有線放送開始。
昭和35年アーケードの建設計画が総会に提案される。
昭和38年歯科医師会館に事務所を開設。米山市郎氏四代目理事長に就任。
昭和41年振興組合へ改組。
昭和41年当局の許可条件が厳しく、アーケードの建設計画を中止し、環境整備に注力。
昭和52年曽根俊彦氏五代目理事長就任。
昭和60年ネオンアーチ2基新設。
昭和63年モール・街路灯新設工事スタート。
平成 元年遠藤恭正氏六代目理事長就任。
平成 2年モール・街路灯新設工事終了。
平成13年間瀬 実氏七代目理事長就任。
平成14年モールリニュ―アル工事。
平成15年三谷輝夫氏八代目理事長就任。
平成16年防犯カメラ設置。
平成21年関 功郎氏九代目理事長就任。
平成25年商店街イベント「ハシゴしナイト」(2月・8月)スタートする。
平成27年西尾 猛氏十代目理事長就任。
平成29年防犯カメラ設備、7台増設し、すべて最新機種に取替え実施。全16台とした。モール舗装のリニューアル川崎市に申請。
令和 元年街路灯120灯全て交換予定
令和 2年街路舗装モールリニュ―アル工事2年計画にて実施予定

※稲葉森三著「仲見世通り繁盛記」参照

■「食」で地域の活性化を担う商店街

飲食に特化したユニークな街

イタリア産自然石が敷き詰められた通りに飲食店がひしめきます

JR川崎駅東口の長いエスカレーターを降り、バスターミナルと京浜急行線を越えると、市役所通りと駅前大通りに挟まれ国道15号線に至る、大きな商業エリアが広がっています。

主な通りごとにある7つの商店街の中で、飲食店が集まり個性的な通りを かたちづくっているのが「川崎駅前仲見世通商店街」です。

東海道五十三次の一駅「川崎宿」として古くから栄え、昭和24年、十数名での「仲見世通り新栄会」の発足から同41年の「振興組合」への改組を経て現在に至っています。

近隣商店街と連携し、さらなる発展をめざす

観行院・善光寺関東別院 大黒様

昭和63年から平成2年にかけての街づくり事業で、電線の地下埋設、イタリア産自然石での舗装、街路灯の増設など、より快適に飲食していただける現在の街並が整備されました。

毎年4月には『かわさきアジアン・フェスタ』に中華料理のお店が参加したり、『かわさき餃子舗の会』を組織し「餃子の街かわさき」の知名度アップをはかるなど、特に「食」の面から地域の活性化に貢献しています。

そして10月には川崎駅東口の6つの商店街の合同イベント『いいじゃん・かわさき』が開催されます。地元警察や消防の協力も得て、このエリア一帯が巨大なお祭り広場となります。  

川崎駅東口駅前広場再編計画も進行中

近年、川崎駅西口周辺の大規模な再開発などで東京や横浜方面からの新しい人の流れが生まれています。その流れを東口へもスムーズに誘導できるように、東西自由連絡通路の増設やバリアフリー化、東口駅前広場の平面化など「川崎駅東口駅前広場再編計画」が進行中で、数年後の完成が待たれています。

商店街の入□では飲食を象徴したネオンアーチが迎えてくれ、なかほどには商店街の名前の由来となった「善光寺」の大黒様が、行き交う人々を見守っていてくれる、味な街です。